muraco(ムラコ)の英国(UK)ディズ

妹に「姉ちゃん生きてるだけでネタになるよ」と励まされているムラコ日記です。

もっと早く聞けていたらよかったと思った名言

私のフォローしているブロガーさんのお言葉が胸に響きました。

最初の出会いは国際交流事業に参加したときに岩手県陸前高田市に訪れた時にお会いした方で、お会いした時から素敵なパワーと雰囲気をお持ちの方でした。

現在は日本を離れて他の国にいらっしゃるのですが、どこにいても彼女の素敵なエナジーは投稿する文章から滲み出てきます。

今回、ブログで響いたお言葉は

「いい男は強い女を弱くする」Amyα_Mさん

この言葉には説明も入っていたのですが、それでもっとグッときた感じです。

私は小学校高学年頃から、女性が自立して社会でやっていくためには女性が1人でやっていけるだけの知識や経験が必要で、そんな女性になりたいと思っていました。それもあって、中学受験の時に受けられる学校のレベルも自分の能力に限界があって、限られていましたが、その中でも女性の自立を高く掲げている女子校への受験を決めたのもあります。学校行ったらそんなことすぐに忘れましたが(笑)

両親が自営業であったのもあるし、どんな家庭環境がそうさせたのか分かりませんが、自然と自分が強く生きていかなきゃとか思っていました。なんでかな。

実は社会人2年目くらいかな。それこそ周りからも認められるような素敵な男性に出会いました。私の妹も母も彼をすごく認めていたし、一緒になるならこの人と一緒になれば、私の幸せが目に見えて分かると言われていました。

大学を卒業して、ボーナスもらえる社会人の生活に働くことは大変だけど、その対価をもらうことの嬉しさを感じたり、親が大学まで親のお金で行かせてくれたことに、どれだけの大変さがあったのか知ることもこの時期でした。

そして何より、私はまだ海外での生活や国際交流への夢を持っており、いつか海外に住みたいとか、もっと国際交流に関係したことをしてみたいという気持ちも強くあり、彼との結婚だったり、2人だけでつむぎ合う時間より自分のことに関心が強い時期でもありました。

そして、何よりも思ったのが、「この人と一緒になると、甘えてばかりの弱い女になってしまう。私のわがままを可愛いとすら思って、全てを受け入れてくれるこの人と一緒になったら、私はどんどん甘えて、自立した女性になれなくなってしまう」

そう思ったんです。

彼は私あてにポエムを書いてくれる人でしたし、週末は一緒に過ごせなくても、平日に車で片道2時間かけて家に来てくれて、早朝に自宅へ帰ってから仕事へ行くということもしてくれました。時には都内の素敵なホテルに一泊して、夜景を楽しみながら翌朝お互い仕事に行くということもしていました。

何もかも彼に託せる自分になるのが怖かったのと、こんなに甘え続けたら、性格の悪い女になるとすら思っていました。
それにこの人にはもっといい女性がいるんじゃないかとすら思ったくらいです。当時は家庭環境も複雑であり、そんな私の家族よりももっと彼に見合った女性がいるんじゃないかとすら思いました。

彼とは1度別れましたが、もう一度復活して、このまま私が自分が彼と結婚して彼とだけの時間を作りたいと思う時期まで彼が待ってくれていたらいいなと思いながらも自分優先の生活を送っていました。自分でもこの人と一緒になったら幸せになるだろうなと感じてきていたし、ただ、今じゃないのよねぇと思いながらの日々でした。

とまぁ、書けば書くほどもっと色々とあるのですが、それは割愛して、今でも彼のことを思い出します。もう連絡もつかないし、相手も求めていにだろうけれど、出会って付き合っていた時にどれほどの愛を持って私に接してくれたのかが痛いほど今はよく分かります。

産休中の収入の心配や、私自身のキャリアの話や、海外生活したかったけど、実際してみるとえげつない経験してるとか、そういう時によく彼の愛情の深さを思い出します(笑)

女性が弱くなることは悪いことじゃないんだなって今回の名言がよく沁みました。そして、もう少し早くそれに自分も気づいていたり、この言葉をあの時の私が聞いていたら、今とは違った私の人生を送っていたかもなって思います。

いい言葉は何歳になっても響きますねっ

初めて知った英語の単語

11月に入り、今月いっぱいのニンシン37週まで働くむらこです。

オットからは産休中も共同名義の銀行口座に今までと同じ金額を入れて欲しいと言われ、産休時は給与が減るし、容赦ねぇなと思うむらこです。

そういう時に思うのが、性別云々とかそういうのではなくても、やっぱりメインで育児する立場に立った時、安心して子育てに集中していいと思える配偶者の安定した収入って精神的に安心感があるんだと、今更ながら気づきました。みんな誰かと一緒になる前にそういうことも含めて婚姻関係になったり、事実婚でもいいけれど、そういう関係になるのかな。

とまぁ12月から産休に入るのですが、英語では「マタニティーリーブ=Maternity leave」と言います。私知らなかったのですが、男性の配偶者が産休とる時って「パタニティーリーブ=Paternity leave」っていうんですって!

なんか響きが可愛いよね(笑)

2日前からまたお腹が大きくなったのか、脳みそと体の変化が一致しなくて、今まで保っていた距離感がさらに遠くなり、最近その距離感の変化に脳がついていけず、お腹が物に当たる現象が起きています。人間って面白いですね。今まで通れていたところが通れると思ったら、通れなくて、自分の腹回りの大きさに気づくなぁんて日々を送っています。

今まで物を車に投げつけられたことありますか?

本来はもっと楽しいお話などもあって、本当はそういうのをアップしたくて、いつか時間を作りたいと思っていたのですが、そうしているうちに、衝撃的なことが起きたので、それが先になってしまいました。

今まで物を車に投げつけられたことありますか?

私は生まれて初めてです。しかも子ども(10歳とか11歳くらいかな)日本の子供たちでそんな失礼な子達に出会ったことありません。

イギリスは今週ハーフタイムと言って学校がお休みなんです。マネージャーは3人の子どもの親で子どもたちのために今週は有休を使ってキャンプに行っています。

なぜこんなことが起きたのか。どちらかと言うと私達の意志というよりも、友人の勧めでベイビーシャワーなるものを計画しています。アメリカが発祥のイベントらしいのですが、本来は女子だけ集まって、ノンアルコールで赤ちゃんにまつわる話をする会みたいなのですが、イギリスでもアメリカの影響を受けて、そう言うイベントをしているようです。そのイベントの招待状を彼女が注文してくれたので、それを受け取りに行きました。

オットの友人の妻が住んでいる地域は経済的な困窮者であったり、地域として治安が悪いと言われている住宅街です。オットの友人が2年前にガンで他界し、当時1歳児と新生児を抱えた妻は住む場所もなく、そう言う場合は政府が家を提供するのですが、家は選べないので、彼女はそこに住んでいるって言うのが背景にあります。

仕事上がりに疲れている体に自分でエールを送りながら、運転し、その住宅街に入ったところ6人くらいの子ども達が道路のど真ん中で自転車に乗ったり、サッカーボールで遊んでいました。

ニンプが車で子どもを怪我させるなんて事態は避けたいし、誰だって子ども傷つけたくないじゃないですか。だからゆっくり運転して、子ども達に害がないように運転したわけですよ。

そしたら何が起きたと思いますか?2人の子どもが自転車で私の車の側に沿って競って近づいてくるんですよ。1人の子どもなんて「ハロー」と言ってくる様。クレイジーかよって感じで、無視して運転していました。
すると突如「ボンッ!!!」という音がしたんです。

そうです。他の子どもが私の車めがけてサッカーボールを投げてぶつけてきたんです。

実はオットの友人の妻の家はその子ども達が遊んでいるところから、3メートルくらいしか離れておらず、車を止めた私が唯一できたのは、子ども達を睨むくらいでした。

あまりのショックに、家に帰って泣いている私がいましたが、こんな国、長くいるもんじゃないとすら感じました。

オットに言うと、「あのエリアは治安が悪いって言ったでしょう?ハーフタイムでも親がどこにも連れて行かないから、子ども達は道路で遊ぶしかないんだよ。きちんとした親に育っていない子ども達だから礼儀を知らないんだよ」

そんな無礼な態度を取るのは私が女でアジア人だからかとも思いました。だってオットが同じように運転していたら、その子ども達はサッカーボールを車に投げることはないと思うんです。だから、理由は治安が悪い住宅街というのだけが理由ではない気がします。

色んな思いが駆け巡った仕事おわりの午後。疲れているのに、余計にショックなことが起きて、少しずつこの国でもう少し頑張ってみようかなって思ったのに、現実を見て、我に帰った自分がいたのでした。

子ども達に中指立ててやろうかと思ったけれど、それはやめておきました。

人生のエンディングノートについて

昨日は泊まり明けのシフトでそのあとチームミーティングがあり、職場環境の改善や支援している人の日常の生活をマネージャーに報告する日でした。

女性が4人も集まると、特に前回お話ししたお局さんがハッスルしていましたが、出てくる出てくるいろんなことが。

ある意味もう要支援者の文句ばかり。あとは、ペーパーハンドタオルが使いづらいとか最近リノベーションで取付け変えられたドアについてや、ケアの際に使うビニール製のエプロンが使いづらいということも話に出ました。
確かにビニール製のエプロンは私が今まで日本に住んでいて見たこともないくらい粗悪なものには変わりないのですが(笑)

そして、今日はオンラインで「エンディングノート」についての話し合いが行われました。私たちがケアしている方はお一人は65歳もうお一方は86歳。65歳の方は全介護の方で認知症も入っており、自己判断能力は難しい状態です。

今回はホスピスでの経験がある方がメインとなって、人生の終わりについてどんなことを考えていったら良いかを参加者(私たち同僚)と話していくという流れでした。マネージャーも参加で、私とマネージャーは自宅から。そのほかのスタッフは今日チームミーティングだったのでそのまま訪問介護先で受けました。

内容としては、

  • 人の死に対してどのようなことを考えたら良いか
  • 自己認識がある対象者についてはどんな葬儀をしたいのか、最後はどこで過ごしたいのか、今生活しているベッドの上なのか、病院なのか

ホスピス経験者の方が話してくれたのは、当時ケアしていた方の状態が急変して、本人の意思としてどんな葬儀をしたかったのか。誰を呼びたかったのかなど事前に聞けなかったので、葬儀もせず、最期は誰も会いに来なかったのだそうです。

また、宗教についても話されていて延命治療についてもどうするかは本人の判断が優先されるべきであるし、宗教の考えに沿って決断をされる方や最期の迎え方も様々であると話が出ました。

また、遺産についても話し合われました。自分が最期を迎えた後の遺産を運用していきたいか。寄付なのか、今住んでいる借り上げの住居先への改装費やその他の経費なのかなど。

そこで本題としては、学習障害者が自身の人生の最期についてどの程度の理解ができるかどうかということです。

彼らは自分の望む最期について自己判断ができるのか、またサポートする側としてどのようなことに気をつけて本人から意思を聞き取るのかということです。

具体例が上がったのはクイーンエリザベスの葬儀がテレビで放送されたなど、誰か人の死について本人が認識しやすい画像や事実を伝えてから本人の最期について話すということも意見として上がりました。

シフトで泊まりのシフトと彼らの最期が当たった時の具体的な対処法というよりは、ふわっとした話し合いだったので、どちらかというと語り合いみたいな90分でした。

日本にいたら積まない経験をイギリスで経験できていることはありがたいなと思いながら、別の世界を知ることができた学びでした。

ケンブリッジに試験を受けに行ってきました。

ビザの更新に必要な英語の試験を受ける必要があり、私の住む市では試験会場がなかったので、一番近くのケンブリッジで試験を受けることになりました。

イギリスでの学歴が証明できない場合は、英語力の証明をする必要があり、試験費用なんと155ポンド。(今日のレートで約25,000円くらい)こちら20分程度のスピーキングとリスニングのテストで、当日出会った受験者とペアになって会話していくという試験です。

泊まりあけの翌朝準備して、電車で行くことにしました。こちらの方々すぐに給料が低いとかってストライキして電車が止まったりするので、オットの友人が鉄道会社に勤めているため、一応確認したら稼働しているとこのでした。というか言わせて貰えば、私たち介護職の賃金の方がもっと低いっていうのに、私たちがストライキなんてしたら、人殺し扱いされかねないから、みんな黙って仕事しているって感じです。

宿は安宿を2泊取りました。2泊で237ポンドなので、試験費用とそんなに変わらないのに2泊できちゃう(笑)

私たちの住む街からケンブリッジまで1時間半の電車の旅でした。ケンブリッジ駅に着くと、やっぱりケンブリッジだけあって、学生も多いし、なんと国際色豊か!街を歩いている人々からは英語以外の言葉が聞こえてくるんです。

いつも少数派に感じる私も、ケンブリッジには居心地の良さを感じました。

安宿と言いながらも2泊2人では十分なお部屋でした。壁が薄いから天井の足音や隣の部屋の音が聞こえるので、旅行メインで行くなら、あまりお勧めしないかもです。

食事はネットで近くのお店を調べていくという方法にしました。初日はステーキ(笑)

ガッツリと頂きました。

試験会場はビジネス系の大学だったようです。

試験時間よりも大幅に早くついて、近くの机でイメトレでもしようかと思ってたのですが、すぐに待合室に案内されて、荷物、携帯全て預けることになり、パスポートを片手に何もできずにひたすら待合室で時間が来るのを待つ状態でした。時計も預けるので、何時だかわからない状態。

待っている間に3人の試験関係のスタッフが待合室にいたのですが、彼らが話し始めました。静かに聞いていると、彼らも移民のようで、彼らも彼らで自分のキャリアについて自分のやりたい仕事とは違う仕事をこうして試験スタッフとして働いているようです。それを聞いたら、母国ではそれなりの学歴を持っていたり、職務履歴があったとしてもみんなどの国の人もイギリスでの理想的な仕事に就くのはそんなに簡単じゃないんだなぁとしみじみと自分と照らし合わせて、元気をもらったのでした(笑)

2日目の夕飯はシーフードに。ニンプが魚介食べていいのかって話なのですが、生牡蠣はオットが楽しく食べていました。ニンプでも食べていい海鮮を頂きました。

3日目はゆっくりと起床し徒歩で楽しめる市内を観光。駅の近くにあるショッピング街やら教会をおとづれたり、庭園を楽しみました。


出産前に2人で旅行しようと言いながら、予算が組めなくて、なぁなぁになっていたのですが、今回は試験を受けるという理由で2泊の旅行ができたのは、良かったと思います。珍しく大きな喧嘩もありませんでした(笑)

ケンブリッジだったら住みたいなぁと思いました。自分のキャリア磨いてケンブリッジでいつか働けるくらいになりたいなぁと思ったり(笑)

試験の結果は1週間程度とのことでしたが、試験を受けて4日ほどでメールで通知が来ました。結果は「合格」でした。これでビザ申請に必要な書類が一つ確保できました。ビザの更新料も半端なく高額ですし、試験料も高額ですし、出産も控えているし、私たちってこれからどう生き抜いていくのか、サバイバルゲームのような心境です。

お誕生日会の参加

今日はまだ本調子ではない体をどうにか動かさないとならないオットの友人の子ども2歳のお誕生日会でした。

午後から在宅ワークのビデオ面接があるため、オットが泊まり明けで戻ってきたらすぐにプレゼントを買いに行くという話をあらかじめしていたので、どうにか起き上がって準備しました。

こんなに長引く?一体なんのウイルスに感染したのか、知りたいです。オットですら今も鼻のかみすぎなのか、片耳が詰まっている感覚に襲われていて、大変不快な思いをしている日々です。私もこのまま勢いよく鼻をかんでたら、同じ症状になりかねないと気をつけています。

市内での買い物は体力が回復していない私にはハードルが高い。ので、近くのショッピングモールに行くことになりました。2ヶ月待ってやっと買い替えられたソーダストリームのボトル。飼い猫キットキャットの首輪紛失で新たに首輪の購入などを済ませ、本日の目的である2歳の子の誕生日プレゼントを買いました。

すでにリクエストがあったようで、コートを購入。その子は元々大きな子なので、2歳ですが4歳用のコートを購入したら、なんと袖が少し長いくらいで、ちょうどいいサイズでした(笑)

すでに肌寒い9月ですが、お天気が良かったので、バーベキュー決行でした。そしてみんなが楽しみにしているケーキ

ちゃんとロウソクを吹き消す事ができていました。

私はまだ体調も回復していないので、早めにパーティーは失礼しました。みんな楽しそうにしていましたよ。

在宅ワークの選考が採用になることを祈りながら、8月9月の種まき期間は期待せずに頑張るをモットーに過ごしていきたいと思います。

結構やられてる種まき期間の8月9月

以前から自分に言い聞かせている8月9月はどんなことも上手くいかないけれど種まき時期だと自分を励ましているムラコ

muracoukdays.hatenablog.com



実はもう10日間くらい謎のウイルスに感染して、体調がかなり悪いです。オットが最初どっかから拾ってきたのですが、うつりました。そしてまさか、こんなに長引くものだと思わずでした。人生30年以上生きていれば、突然の風邪の時の症状によって、どれくらい悪いのか自分で大体見当がつくと思うのですが、今回はその経験をくつがえすほどの強さです。

3回目のコロナにかかったか、と不安に思うほど深夜も寝れずに寒気、喉の痛み、で起きる始末。コロナは陰性だったのですが、ここに症状を振り返ってみようと思います。

8日の泊まり明けの朝、体調の変化を感じる。寒気、喉の痛み。同日帰宅してすぐに横になるも寒気がすると思いきや目が覚めると寝汗をかいている状態。体が発熱を下げるためだと思います。その日の夜は3回ほど着替えないと服が汗で冷たくなり、余計に症状が悪化しそうなので、定期的に交換。

9日はシフトが休みのため終日横になるけれど、百日咳の予防接種は辛いからだを起こしてクリニックに向かう。喉の痛み、体のだるさ、いくら寝ても寝れる体。やはり具合の悪さを改めて実感。マネージャーに週末の休みの申請をするも他に代役がいないと言われ、その日でできるだけ回復しようと試みる。深夜は喉の痛みにより水を飲み続ける。この日があの、流石に泣いた病院の受付の間違い案内された日。


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10日は普段通りに仕事に行くも、マスクを着けて業務にあたる。できるだけ体力を消耗しないようにし、泊まりのシフトのため、スタッフルームにて深夜も水分補給、喉の痛みに耐える。少し寝汗もかいていたので、発熱した可能性あり。

11日泊まり明けの朝、すぐに帰宅し、自宅で養生。喉の痛みがあるが、発熱による寝汗はなし。終日休息。

12日も泊まりのシフトで通常通り仕事に行く。喉の痛みと声がしゃがれ声。体力の消耗をできるだけしないようにする。その日もスタッフルームにて水分補給と咳が出始め、おぞましい色の痰が出る。

13日の泊まり明けの朝、喉の痛みがひく。ここまで来ると体調の回復に向かっているのが通例の風邪を経験したムラコの予測。午後は日本の友人と楽しくビデオ電話をして過ごす。

変化が起きたのが実はその日13日の夜からです。恐ろしいほどの寒気に襲われることになります。日本から持ってきたホッカイロだけでなく、湯たんぽを用意しても寒気が止まりません。挙句、関節の痛みが始まりました。喉の痛みがなくなった後は、鼻詰まりと咳の嵐。最悪、腹部にも痛みを感じたので、これはヤバいサインだと感じました。寝汗をかき、深夜も繰り返し起床しては水分補給と着替えを繰り返しました。


そして14日の朝。この日も泊まりの仕事でしたが、さすがに出勤は断念。マネージャーと同僚に連絡し、病欠連絡をしました。朝、出勤の準備で着替えたのですが、ここで日本人魂を発揮しても仕方ないと思うようになりました。シフトを代わってほしかった週末には誰も代わってくれなかったけど、ここで意地張っても仕方ないと思い、休みました。

その日から寝れる寝れる、こんなに何時間も寝れるものかと思うくらい寝れるし、起きるのすら辛い。相当体がやられていたのがわかりました。と言っても前から予定されていたものはずらす事ができないものもあり、助産師の検診に行ったり、会計コースのオンライン説明会に自宅から参加したりしていました。


そして、15日からは偶然4連休なので、16日の今日も家で養生しておりますが、自分のキャリア向上のために受講しようと考えている会計コースの申し込みをしようと15日から申請するも上手くいかずにおり、本日16日にようやく担当者から電話をもらった夕方5時。

会計コースの説明会も受けて、マイクロソフト365でもアカウントを貰えているので、あとはコースに申し込むだけになった今、パソコンから申し込めないので電話での対応をしてくれると10分くらい自分の住所やら、国籍やら、就業形態やら話しました。



担当者「イギリスに住んで何年経ちますか?」

ムラコ「2年になります」



ここから状況が一気に変わりました。


「残念ながら、3年イギリスに住んでいないとこのコースは受けれないんです。大変残念ですが、もし政府機関を使ったこの会計コースを受けるのであれば、あと1年後でないと受ける資格がありません」

「え」待ってよ。会計コースの説明会の予約は7月にして、実際に教室にも足を運んだし、オンラインでも説明会受けたのに、最後の最後でそれ?


今回のコースのスケジュールも出産前に終わる日程になっていて、私にとってとても好都合な日程だったんです。8月9月は確かに思うようにいかない事が多くても、せめて会計コースのこのレッスンはどこかで希望の星として持っていたからこそ、かなり大きな衝撃を受けました。



さすがに、今日も泣きましたね。体調は悪いわ、体調悪い中オンラインでも説明会参加して、担当からの電話も夕方の5時までかかってこないから、いつ電話が来るのか今日1日ずっと携帯持ち歩いていて、最後にコース受けれないって、私何か悪いことした?って思いました。



母親との電話も喉を労わるために2回も延期して、自分の体力の回復に集中したのに、ぽっかり穴が開きました。普段は頼りにならないオットにさすがに電話して、大泣きです。オットは今日は泊まりのシフトなので家にいないのですが、自分のこの気持ちを伝えなくては自分が一人家でパジャマで頭ボサボサで、まだ体調も回復していないし、せっかくの休みで天気がいいのに家にこもってて。



しかも今日作ったお昼のパスタがしょっぱすぎて食べれなかったし、いろんなことがもう全て悪い方向に進んでいくと感じてしまいました。


会計コースは政府機関を使ったコース以外にもカレッジが実施しているものもあれば、完全自主学習の方法もあることが分かり、いつもはあまり心配しないオットもすぐにサイトを調べて送ってくれました。


今度は金額もピンキリで、どこが信頼できるのか分からない状態。明日もネイティブのオットに頼ってどのコースにするか夫の帰りを待つことにします。


自分で探した会計コースだったし、自分で頑張れるって思ったのに、イギリスに3年いないからって、国の補助受けれないってのもなんだよって思うんですけどね。オットにも頼らずに自分で頑張れるって思ったのに。2年も税金払って、人並みに生活してるし、ビザも持ってここにいるのにね。



せめて明日は少しでも体力が回復していますように。今日の夕飯も何食べるか決めてないけど、また悲しくなるような料理作ったらどうしよう。。