muraco(ムラコ)の英国(UK)ディズ

妹に「姉ちゃん生きてるだけでネタになるよ」と励まされているムラコ日記です。

人生のエンディングノートについて

昨日は泊まり明けのシフトでそのあとチームミーティングがあり、職場環境の改善や支援している人の日常の生活をマネージャーに報告する日でした。

女性が4人も集まると、特に前回お話ししたお局さんがハッスルしていましたが、出てくる出てくるいろんなことが。

ある意味もう要支援者の文句ばかり。あとは、ペーパーハンドタオルが使いづらいとか最近リノベーションで取付け変えられたドアについてや、ケアの際に使うビニール製のエプロンが使いづらいということも話に出ました。
確かにビニール製のエプロンは私が今まで日本に住んでいて見たこともないくらい粗悪なものには変わりないのですが(笑)

そして、今日はオンラインで「エンディングノート」についての話し合いが行われました。私たちがケアしている方はお一人は65歳もうお一方は86歳。65歳の方は全介護の方で認知症も入っており、自己判断能力は難しい状態です。

今回はホスピスでの経験がある方がメインとなって、人生の終わりについてどんなことを考えていったら良いかを参加者(私たち同僚)と話していくという流れでした。マネージャーも参加で、私とマネージャーは自宅から。そのほかのスタッフは今日チームミーティングだったのでそのまま訪問介護先で受けました。

内容としては、

  • 人の死に対してどのようなことを考えたら良いか
  • 自己認識がある対象者についてはどんな葬儀をしたいのか、最後はどこで過ごしたいのか、今生活しているベッドの上なのか、病院なのか

ホスピス経験者の方が話してくれたのは、当時ケアしていた方の状態が急変して、本人の意思としてどんな葬儀をしたかったのか。誰を呼びたかったのかなど事前に聞けなかったので、葬儀もせず、最期は誰も会いに来なかったのだそうです。

また、宗教についても話されていて延命治療についてもどうするかは本人の判断が優先されるべきであるし、宗教の考えに沿って決断をされる方や最期の迎え方も様々であると話が出ました。

また、遺産についても話し合われました。自分が最期を迎えた後の遺産を運用していきたいか。寄付なのか、今住んでいる借り上げの住居先への改装費やその他の経費なのかなど。

そこで本題としては、学習障害者が自身の人生の最期についてどの程度の理解ができるかどうかということです。

彼らは自分の望む最期について自己判断ができるのか、またサポートする側としてどのようなことに気をつけて本人から意思を聞き取るのかということです。

具体例が上がったのはクイーンエリザベスの葬儀がテレビで放送されたなど、誰か人の死について本人が認識しやすい画像や事実を伝えてから本人の最期について話すということも意見として上がりました。

シフトで泊まりのシフトと彼らの最期が当たった時の具体的な対処法というよりは、ふわっとした話し合いだったので、どちらかというと語り合いみたいな90分でした。

日本にいたら積まない経験をイギリスで経験できていることはありがたいなと思いながら、別の世界を知ることができた学びでした。